淨空老法師の社会、文化、そして宗教観誠意をもって交流を深める
1.多元世界 多元文化
  『世界は多元であり、民族は多元であり、文化・宗教も多元である・・・・・・ 』 これは、 淨空老法師が、長年提唱し、推し進められている、団体・民族・社会、及び各宗教・文化の間での、交際・対話・交流の基本概念である。 『ただ、開拓の心を以って、常に他人の為にものを考え、常に法界における衆生(全ての息年生けるもの)の為にものを考え、常に自分が義務社会教育の仕事をする者であることを忘れない。 このようにして、私達の視野は日増しに広がり、私達が心を起こし、考えを行動に移すことこそが誠意であり、正しい考え方である。 もし、ほんの少しでも、私心や不平等な心があれば、仏陀の教育・感化に応ずることはでず、多元文化・多元民族・多元宗教の理念を実現することはできない。』と、 老法師は述べられている。 また、『本当に悟りを開いた者にとって、衆生とは、これ自分自身のことであり、善良な知識者と法界は、これすなわち故郷である。 無限な目に見えない法界と自分自身とは、実は完璧にひとつなのである。 従って、佛陀が唱えた、同体大悲・無縁大悲・慈悲は、佛教指導の中心理念である。』とも述べられている。 そして、これが 老法師の、出家弟子や学生達に対する要求である。
2.誠意は交互交流の出発点
社会の発展・科学の進歩につれ、人々の生活水準は日々向上し、人と人だけに限らず、各団体間・各宗教間・各国家間における相互交流と往来は、避けられないものになっている。 対立や猜疑、また、暴力的手段をとるということは、決して問題の解決をする方法にはならない。 ならば、どのような手段を取れば良いのか? どのような方法で交流を進めれば良いのか? これは、 老法師が、長年考えておられる問題である。 問題の根源は、かなり複雑なようで、各人が頭を働かせてよく考えるに値するものであるが、
 老法師のお答えは、返って、驚くほどとても簡単である。 その問題解決の方法とは、たった二文字、“誠意”である。 『誠意をもって衆生を平等と見なし、“欲がなく、自分が欲さないことを人に施さない”ということが、諸難題を一刀両断に解決するのである。』と、老法師は、おっしゃっておられるのである。 ただ言うだけであれば、何事も単純で、問題に手をつけることも容易のようだが、いざ、実行に移すとなると、想像するように簡単なことではなく、思う通りには行かないようである。 しかし、 老法師の“教育”という理念のもとであれば、宗教・民族・文化等の系列の問題は、すべて、とても調和した雰囲気で解決の方向にもっていくことができる。 いにしえの時代から今に至るまで、私達は、いろいろな宗教のそれぞれの信者達が、ひとつ屋根の下で祈りをささげ、同じ経典を読み、同じ賛美歌を歌うのを、一度も見たことが無いが、それとは反対に、いろいろな国や地域で、宗教や民族の異なる人々が、和気あいあいと、同じ教室の中で勉強しているのは見たことがあるのではないだろうか。 多くの宗教は、国際性をもってはいるが、その国際性は、限られた範囲内だけのものであり、とても小さな国際性である。 それは定めた境界線がとても狭いからで、依然として、かなり多くの排他的な部分を持っている。 各宗教は、すべて、自分の宗教を中心としてその他を評価するが、“教育”という理念のもとでは、このような問題は存在しない。 もし、“教育”という理念を出発点にするのであれば、私達は、みな平等に、同じ立場に立ち、他人を信じ誠意をもって交流や対話を推し進めることができる。 お互いに正直に腹を割って話し、先入観も無く、また、何の懸念も無く、誠意をもって対することができる。 こうして交流することで初めて成果があり、対話にも収穫があるのである。
3.求同存異(異なるもの同士が同じ目標に向かうこと)・共存共栄
  オーストリアのクイーンズランドで、毎月1回、クイーンズランドの少数民族事務局のユリ局長が主宰する“多元文化言論界”は、それぞれ異なる民族・宗教・学術界の指導者達が一同に会し、世間話をしながら交流を深め、お互いを尊重・敬愛・助け合い、共同で、協調・繁栄・平和・幸福な社会を創造することを目標としているもので、それぞれの指導者達が誠実な貢献をしている。  淨空老法師は、オーストラリア滞在の期間中に、この“多元文化言論界”に招かれ出席した席で、“言論界”が提議した問題に対するご自分のお考えを発表され、そのお考えが実現するように希望の意を表された。 この“言論界”では、特定の主題を巡って議論を展開し、意見交換をし、その後、政府に対し宗教の衝突や民族の矛盾に対する解決方法を提案した。 一つ一つの文化・宗教・民族には、それぞれ優秀でそれぞれその取り柄がある、というのが 老法師の観点である。 たとえ、それぞれの文化や宗教の作り出す背景と発展は違っても、よく観察すれば、それらの間に必ず共通点や類似点があるのである。  老法師は、私達がこの共通点を出発点にし、また、この基礎の上に立って、求同存異・共存共栄・共同発展することを提唱しておられる。 その上、異なる文化・宗教・民族の間に、もし、相互に協力し、お互いの良いところを取り入れ、誠意と尊重を基本に交流を発展させていくことができれば、横暴な態度でお互いの内部の物事に干渉するなど、非理性的な手段を一切取ることなく問題解決をはかることで、世界は平和で戦争がなくなり、社会は安定し繁栄するはずなのである。 このために、 老法師は、オーストラリアにおいて、“多元文化大学”を、また、世界の各大学内に“多元文化学院”や“多元文化学科”を創立し、全世界に、多元文化教育に従事し、この一大因縁を広める専門人材を育てることを切に望んでおられる。
  4.お互いの伝統文化を尊重する
  淨空老法師の交流に関する理念は、期せずして、周恩来総理の外交思想と、一致している。 周恩來総理は、かつて、1955年、インドネシア・バンドンで行われたバンドン会議の席において、「平和共存の5原則」を提出し、国際交流を展開した。 この5原則『主権尊重と領土保全;相互不可侵;相互内政不干渉;平等互恵;平和共存』は、現在の社会においても、依然としてすばらしい意義を持ち、国際社会がこれに追随し、国連憲章の基本条例にまでなっているものである。 これが表すものは、一種の公正平等で、傲慢でもなく卑屈でもない、平和を尊ぶ観念である。  老法師は、“もし、私達が、誠意の心をもってこの5原則を実行すれば、その結果得られる効果は顕著で、諸々の矛盾も矛盾でなくなる” “このようなすばらしい思想観念は、私達の一つ一つの民族・文化・宗教団体がそれを継承し、広める義務がある”と、感嘆しておっしゃるのである。老法師は、ご法話をされる時に、よくこうおっしゃる。 “異なる文化・民族・宗教の優れた点とは、ちょうど、私達の身体のひとつひとつの部位に、それぞれの特徴とそれに合った使い方があるのと同じである。 頭には頭なりの優れた点があり、頭なりの使い道がある。 また、手には手の優れた点があり、手の用途がある。 しかし、互いにその役割を変えることはできず、頭に帽子をかぶるからといって、手に無理やり帽子をかぶせることはできない。 これは、各部の本来の天性に逆らい、また、生存法則にも合っていないからで、見るからにおかしいのである。 それぞれ異なる宗教・文化は、それぞれ異なる『真善美』の優れた点がある。 強制手段を使って自己の文化や生活様式に引きずり込んだり、人を押しのけて自分の物さえあればそれが一番良いと思い、全世界がすべて自分を見習うというような観念は、始めから間違いである。 それぞれの民族には、それぞれその優秀な伝統があり、伝統的なものこそ、民族の特色を、また、その文化の長所や特徴を具体的に表現しているのであり、それらすべてを守り広めるべきである。” 近代史を紐解けば、私達は、第二次世界大戦の時代に、強権政客は、世界平和を擁護する為に、人民のために自由民主の旗を勝ち取り、各方面に自己の人生観・価値観や自己の人権・法律制度をモデルとして世界に押し広めた。 それは、他国家の国情や歴史文化を少しも考慮せず、他国家の思惟の方法や人民の念願を尊重することもしない、自己を一元文化と考えるもので、極端な方法で他国家を強要し、世界を統治することだけを考えた。  このようなことが、どうして通用するであろうか。 いわゆる、“道に従う者は栄え、道に背く者は滅ぶ”というように、その様な行為に及ぶ者は、必然的に自己のあらゆる行為に対して、大きな代償を払うことになるであろう。  老法師はまた、しばしば喩えてこうおっしゃる。 “私達中国人が受け入れるのは、賢者の教えである。 中国は五千年の悠久の歴史があり、中国文化の奥深さは、決して他国の人が推し量ることはできないほどで、 それは、ちょうど独自の特色を持つ千年の老舗のようでもある。 老舗は、それ独自の伝承管理の法則を持ち、人の思うに任せ蹂躙することはできず、軽軽しく伝統を捨てることもできない、また、むやみに他人の経営方法を手本にすることも許されないものである。しかし、そのように新しいものや外部からのものを拒むことで、自ら伝統文化の火を消してしまうことになれば、それはなんと惜しいことであろう。 このように、文化が異なるからといって、他の文化をひどく非難することはよくないのである。 落ち着いた心で待遇し、私達は、人・事・物の考えを制限せず、人・事・物の本性を束縛しないことで、世界はすべてがとても美しく、そして、さまざまな文化はさらに多彩になり、その多彩さはまるで全てを見切れないほどまでになるのである。”  老法師は、講義中によく、この観点について述べられ、また、立場を表明され、中華文化と民族全体の尊厳を擁護される。 その上、それぞれの異民族文化の『真善美』とその知恵を褒め称え、会場にいる人々を賛嘆させてやまないのである。
5.イスラム教センター訪問
 98年末、 淨空老法師と李木源居士の引率のもと、シンガポール佛教居士林、及び、淨宗學会の60名を超える法師と居士たちが、シンガポール・イスラム教センター、及び所属の慈善福利団体を初めて訪問した。 また、該センターの老人ホームと孤児院に住む人々に援助金を渡し、結縁品(ご縁を結ぶためのプレゼント)を送り、それとはまた別に、50人分の奨学金申請用紙を発行し、シンガポール・マレー族の貧困学生に奨学金申請の機会を提供した。 この行いは、直ちにシンガポール社会の各階層に絶大な反響を巻き起こした。 現地の中文新聞である「聯合早報」・「新民日報」、及び英文新聞である「海峡時報」などが、詳しく報道し、その上、新聞の評論家やと社会の人々が、訪問を終えた2、3週間後においても、まだ、この件を話題にし褒め称えているほどである。 政府と民衆が、このように、宗教の融和と民族交流を尊重しているのを見るにつけ、 老法師と李木源居士は、既に適当な時期に、キリスト教やヒンズー教等、その他の宗教団体にも、友好訪問をする計画を立てておられる。 これをきっかけに、各宗教・各民族が交流を深める導きとなり、社会の安定と民族の調和を擁護することに、大いに力を尽くすことを切望する。 
(『誠敬人生』より抜粋